高速道路の記念碑には歴史が刻まれています。
旅先で見かけると思わず写真に撮ってしまうんですよね。
「北陸自動車道・米山SA(上り)」で見つけた記念碑。
どんな内容が刻まれているのか、見てみませんか?
記念碑
記念碑のある場所
北陸自動車道
米山SA(上り)
記念碑に刻まれたことば
高速道路と芭蕉
元禄二年(1689年)初夏、俳人松尾芭蕉は、弟子の曽良を伴って江戸深川をたち、奥州、北陸の旅に出ました。秋大垣の地にたどりつくまで約5ヶ月、旅程六百理(2400キロメートル)に近い大旅行の紀行が「奥の細道」であります。当時の長期間を要したその旅程は今では、東北、北陸自動車道、名神高速道路で結ばれ、多くの皆様にクルマによる快適な旅行を楽しんでいただいており、まさに隔世の感があります。
今、「奥の細道」紀行から300年を迎えることとなりますが、くしくも、北陸自動車道は、建設中の新潟・名立谷浜インターチェンジ〜富山・朝日インターチェンジ間が完成し、63年7月20日、全線開通いたしました。当時、芭蕉は、北陸路において新潟、富山、石川、福井と日本海沿岸を行脚し、岐阜大垣を「奥の細道」の結びの地とした訳ですが、この行程は、北陸自動車道とほぼ同じ道をたどっているところから、これを記念し、芭蕉北陸路ゆかりの地の近くの当自動車道サービスエリア、パーキングエリアに各地で詠んだといわれる句の碑を建立いたしました。是非お立寄りいただき当時をしのび、思い出の地、憩いの地とされたく御案内いたします。
宿かるころや
藤の花
今と違って、昔の旅は自分の足で、てくてくと歩くのみ。必要な荷物を背にして、一日中歩きくたびれて宿をとるころ、折から夕暮れの中に、薄紫の藤の花が夕日に映えて美しく咲いている。その藤の花房の美しさが、疲れた旅人の心をいやし、何かしらほっとした気持ちにさせてくれる。しみじみとした旅愁そのものが感じられる。
この句碑のもとになるものは、柏崎市椎谷観音(しいやかんのん)仁王門前に設置されており、江戸末期に俳人巣也が建立したといわれている。
(句碑の建立には、柏崎市の御協力を得、又碑の書体は書道家、白倉南寉先生による。)
記念碑の写真
コメント